上原浩治氏 野村克也さんにしゃべった
上原浩治さんは、TBS1のS☆1で、いろいろとしゃべってくれました。この記事は、その内容をお伝えします。
上原浩治氏 あいさつまわり
ここまで上原浩治さんは、巨人の関係者にあいさつをしてまわっていました。胴上げもあったその記事はこちらです。
上原浩治氏 ノムさんとのやり取り
冒頭で野村克也さん(以下ノムさん)が、「シーズン途中に引退するっていう人いない」と伝えて始まりました。
上原浩治さんは、「後ろ(シーズンの後半)にいくほどチームに迷惑がかかると思ったので」と応えました。
そして、2人には共通点が1つだけあるとノムさんが問いかけました。
それは、「19番」の背番号です。
そして、ノムさんから直筆で表彰状を授与しました。
表彰状
「あなたは日本のみならず、アメリカでも野球界発展に貢献されました。私は自分を月見草と称し、あなたは雑草魂と称されていましたね。月見草と雑草、日が当たらないところで育った私達だからこそ、今の自分があるのかも知れません。日米で培った経験を球界に還元してくれることを期待し、ここに賞します。」
上原浩治さんは、「額に入れて飾ります」と応えています。
上原浩治氏 大谷翔平のこと
上原浩治さんの今シーズンの大谷翔平選手をどう見るかについて。
「マスコミが騒ぎすぎ」
まだこれからということですね。まだ出てきたばかりだから、打率云々のようにそれに一喜一憂するのはどうかと。
それより、今年に関しては田中将大選手のような活躍している人を評価してほしいと語っています。
しかし、それに対してノムさんは槙原寛己さんも含めて「こんなところに座っているようではだめ」と一喝。
「後輩に財産を分けてあげなきゃ」
「ピッチングって難しいんだから、そのこつを教えてやってほしい」
休んでいる暇なんてないと語って、2人が現場で経験を還元してほしいことを切実に訴えていました。
上原浩治氏 NPBのこと
メジャーリーグを経験した上原浩治さんは、NPBについて、
「昔は差があると言われましたけど、もうそんなに言うほど差があるとは思わない」
と語っています。
ノムさんの時代は1年ごとに日米野球があったそうですが、10試合くらいやっても1回も勝てなかったそうです。オールジャパンでこちらは戦うのに、向こうは単独チームだったのにもかかわらずです。
我々の頃は、メジャーリーグは遠い遠い世界と思っていたそうです。しかし、今は選手がメジャーに行くようになって喜ばしいと。
続けてノムさんは、ヤクルトの監督をやっているときに、メジャーの監督経験のある人が、「今はアメリカと日本の差がなくなってきている」と言ったそうです。
「これからは真のワールドシリーズが実現する時代になった」と語っています。
上原浩治氏 現在の巨人について
「今2位にいるんだから、なぜごちゃごちゃ言うんでうか」と上原浩治さん。「普通に戦っていれば首位争うもできる」と。
菅野選手が戻ってくれば、もっと落ち着いて戦えると語っています。
また、ノムさんの優勝候補は「巨人」ということで、ノムさんも「大丈夫」と話していました。
あと、上原浩治さんが個人的に心配なこととしては、投手の先発陣のローテーションが崩れていること、中継ぎ陣の不安を語っています。
上原浩治氏 奥さんの手紙
奥さんの今まで伝えられなかった手紙(全文掲載)
浩治さんへ
21年間の現役生活、お疲れ様でした。結婚して15年目ですが、本当に一緒に暮らした時間が短くて不思議な結婚生活でした。今年の春に、このままだったら夏前には引退を決断するすると、私と一真に話してくれたテレビ電話を切った後、一真が「I’m gonna carry on his legacy」(パパの素晴らしい功績を引き継ぐ)と、少し声を震わせてつぶやいたことが忘れられません。そして、3年間夢中になっていたアイスホッケーを辞め、住み慣れたボルティモアを離れて寮に入り、野球だけに専念すると言い出した決断には驚かされましたが、誰かに似て潔かったです。これも、どんなに離れていても前を向いて戦い続けるパパの背中を見続けていたからこその決断だったんだと思います。令和元年は私たちに上原家にとっても元年になりましたね。上原家第2章、そして、第2回新婚生活!爆笑と爆笑の上原家で行きましょう!
P.S. 先日テレビで「まずは息子の学校の送り迎え」と張り切って言ってくれましたが、残念ながらあなたが帰ってくる頃には学校は夏休みに入ります…ということで、まずはガレージ掃除と草むしりからお願いします。長靴買って待ってます。それでは、本当にお疲れ様でした。これからは一緒に一真の応援楽しみましょう! 美穂より
最後に…
今でもデビューした上原浩治さんの衝撃の活躍を思い出します。
5月の阪神戦から9月の阪神戦まで、驚異の15連勝を記録し、毎週日曜日に投げるサンデー上原が定着しました。完封ではないけれど1点で抑えるという投球が続きました。
最終的には、20勝4敗、防御率2.09、179奪三振という圧倒的な数字を残して、最多勝、防御率、最多奪三振、最高勝率、新人王、さらには沢村賞まで獲得し、タイトルを独占したことは鮮明に記憶しています。
今後の野球界での別の形での活躍を期待しています。