八咫烏(ヤタガラス)伝承
ヤタガラスは、神武天皇の東征神話において、その先導役として熊野から大和へ入る山中を導くために、天照大神から遣わされたカラスです。
カラスは、さまざまに伝わる民間や熊野大社のより、日本人の生活に深くかかわりを持つと認識されていました。
太陽の中の三本足のカラスが住むという中国の伝説大陸からの伝承の影響もあり、神話の中で神の使いとしての役割をになう霊鳥として登場するようになりました。
ヤタガラス伝承 調査→計画→実行 そしてユネスコ登録へ
5月18日、和歌山県那智勝浦町で、地域振興が目的である「日本ヤタガラス協会」の設立総会が開催されました。
同県新宮市教育委員会の元学芸員、国際熊野学会の代表委員である山本殖生さん(70)が会長に選出され、その他事業計画案などを承認しました。
全国の伝承を調査して講演会の開催などを計画し、将来的にユネスコの世界無形文化遺産への登録を目指します。
ヤタガラス伝承 可能性について
現在は、神話に登場するモチーフの一つであったり、シンボルマークとして残っているだけになっているため、なかなか厳しいものがあるかも知れません。
伝統や儀式、あるいは文学ならいいのですが、古事記や日本書紀として伝承のみのものですから。
また、元を探すなら、アナトリアとかシルクロードの経路なども調査することも必要かもしれません。
いすれにしろ、説としてはいくつもあるようですし、謎が多いので、真実をまとめ上げるのは大変なことと察します。
ところで、この話はNHKのプラタモリでも出てきたと思うのですが…であれば、やはり放送の影響があるような気がします。勝手な推測ですが、話題に上ったり話が進んだりするのは、何らかのきっかけがあるものですので。
調査が、真実の探求と地域振興目的の比重として後者ならば、その正確性と発言には注意が必要となっていくことでしょう。
なかなか難しいところですが、期待することろも大きいと思いますので、関係者の方々が良い方向に進まれてくださることを願っています。
ヤタガラス伝承の考察
以下は、洪聖牧さん(蔚山大学校助敎授) という方の文献を一部引用させていただきます。
出典:http://trijapan.iwinv.net/data/upload/より
大和盆地に新しく登場した新王権は、旧豪族を吸収あるいは滅ぼして新しい政権をつくっていく中で、大勢力をもった鴨氏は無視できない存在であった。
ゆえに大和王権は、鴨氏の祖先であったヤタガラスを、天皇家による地上世界支配の正当化を語る皇祖神アマテラスによる葦原中国平定神話の中で活躍する神の使いとして登場させ、大豪族鴨氏を王権側に取り込もうとしたのではないかと考えられる。
しかし大陸の 太陽の中に住む三本足烏 という思想が伝来してから、ヤタガラスも単なる烏ではなく、太陽との関連を考慮するようになり、次第に鴨氏の祖先神としての影は薄められ、王権側に掌握されていったのではないかと思われる。
そして 白烏 や 赤烏 を祥瑞と認識するようになり、ヤタガラスに纏わる伝承や祭祀は王権側が完全に握るようになったと思われる。
さらにヤタガラスを祀る神社も創建された。続日本紀慶雲二年の記事にに 慶雲二年九月丙戌。置八咫烏社于大倭国宇太郡祭之 とある。これは今の熊野にある熊野速玉大社と熊野那智大社である。
ここに祀られているヤタガラスは、金色の三本足の烏として描かれ、また真っ赤な円の中に真っ黒で足が三本ある烏として描かれており、明らかに太陽の烏であることがわかる。このようにヤタガラスは鴨氏から離れ、大和王権側の存在として重視されるようになる。
律令制において毎年元日の朝に天皇が大極殿において皇太子以下の文武百官の拝賀を受ける行事である 朝賀の儀 では日像․月像旗․烏形旗․四神旗をあげている。
その様子は、続日本紀の大宝元年正月に藤原宮大極殿で行われた 朝賀の儀 の記事に詳しい。
また平安時代以後になると、天皇の即位の際その形をかたどった幢をあげることが、讃岐典侍日記の鳥羽天皇の即位の段に見える。
こうした日像․月像旗․烏形旗は、時代は下るが群書類従巻九十二 文安御即位調度圖 によれば、旗竿の先にそれぞれ太陽と三足烏、月と兎、桂․三足烏の飾り物をのせた幢であったと記されている。さらに天皇の礼服に縫いこまれるようになったのもヤタガラス重視の風潮のあらわれであり、天皇家による太陽神信仰の独占ともいえよう。