退職金 減少の理由
退職金が減少しています。
ただ、もともと退職金制度がない企業もあり、1993年でも8.0%はそうでした。しかし、2017年には、19.5%に拡大をしています。5社に1社は退職金が出ないということになります。
この割合と同様に、退職金が支給される企業でも大幅に減少してきています。その理由を見ていきます。
退職金 減少した理由はこれ
理由は大きく2つあります。
まず、退職金制度の中身の変化です。昭和時代では、退職金をもらってその後は悠々自適に生活を送るという図式がありましたが、平成時代はそれは過去のものとなりました。
それは、賃金制度が成果主義に変わっていったことにあると言います。勤続年数に応じて退職金が増える仕組みではなくなり、給与とは別立てでポイント制にする企業が増えました。
職能給、役職、正課などのポイント制になったことで、支給額を押し下げる要因になったと言います。
次は、定年後も雇用を継続する企業が増えたことが挙げられます。定年後の継続雇用を含んだ60代前半の雇用の確保が義務化されたことで、退職金の制度変更をすることになった企業が多くなったということです。
退職金 減少理由よりそもそも受取額を知らない人が多い
退職金の減少は、死活問題とも言える大きなことであるにもかかわらず、実際に自分の受取額を知っている人はどれだけいるのでしょうか。
実は、一般の関心はあまり高くないのが実情です。理由は、現在の給与額が切実なことであり、退職金は先のことと思っているからです。
ということは、その時期が近づくほど調べることになり、受取額を把握するはずです。
ある研究所の男女2万人弱に行った調査によると、退職金の額を把握した時期は以下のとおりとなっています。
・定年退職前1年以内…63.9%
・退職金を受け取るまで知らなかった…31.6%
・会社からの通知で金額を知った…68.9%
本当に間際まで把握することはないと言えそうです。外国人はもっとシビアに把握していると思いますので、こういうところは日本人らしいとも言えるところです。
退職金 減少データ
厚生労働省のデータによると…
平成15年から平成25年までの10年間
・勤続35年以上の退職金
2,612万円から2,156万円まで約500万円も減少。・勤続年数20~24年の退職金
約300万円も減少し、1,000万円を切る水準。
そして、20年前と比べて1,080万円もの減少になっています。
これらのデータを見ても、長生きになっている現代の人々にとって、退職金を当てにしなくてもよいライフスタイルの確立は必至と言えます。
■こんな問題もあります。
退職員減少…そもそも企業側は払う義務はあるのか
民間の企業になりますが、就業規則や労働協約などで予め定めている場合を除けば、法律上必ずしも退職金の支給義務はありません。
退職金を受けとる側からすれば減少は厳しいですが、企業側にとってはかなりの負担となりますから、払いたくても払えない状況も出てきます。「退職金倒産」など、シャレにもなりませんから。
とは言え、勤続年数が長く、会社に貢献してくれた人には「功労」の意を込めて渡したいのも経営者の心情でしょう。そなれば、支払い方法の見直しが必須となってきます。
では、その方式を確認してみます。
*基本給連動方式
退職金は、退職時算定基礎(基本)給×勤続年数別支給率×退職事由別支給率で決まります。
*定額方式
「勤続年数○年でいくら」という計算方法です。
*方程式方式
退職金=基礎額×退職時等級係数×勤続年数別支給係数×退職事由係数で決まります。
*ポイント方式
退職金=ポイント合計×1点あたりの単価で決まります。
*前払い方式
希望者に対して、退職金を年2回の賞与に上乗せして先払いします。
*確定拠出型(日本版401k)
掛金の額が確定しており、年金給付額が不確定である年金、掛金の運用実績によって年金給付金が決定する。
参照:http://www.office-rapport.net/taisixyokukin.html
退職金減少を考える
日本は、過労死や、心の病を抱えて働いた末に質素に暮らす人が多い国だと思います。努めている間に労働交渉もほぼしないし、政府に対しても結局はおとなしい。こういう日本人気質は、こういったことに関しては改めるべきときがきているのかも知れません。
しかし、大手企業の上役がもらう金額は多大なもので、それが本当に妥当なのかという問題も一方であるのも事実です。
退職金は、前出の通り、その時期が来ないと本気で考えない問題でもあるため、得する人だけがいい目を見る部分はどうしてもなくならないのでしょう。
こういった問題が浮き彫りにされてきている今、切実な問題として全国民の関心事に浮上すれば、当事者でなくてもしっかり考える様になると思います。
政府、企業、個人と、大小全てに関わってくることでもありますから、難しい問題ではありますが、本当に真剣に考えるきっかけになればと願います。