奈良美智 落書きの価値が凄い!
奈良美智さんが10年前にニューヨークのバーの壁に落書きした絵が数億円の価値にもなるそうです。
絵の価値って誰がどう決めるのかも全くわからないですが、見る人が見ると凄いのでしょうが、なぜ10年経ってここまで価値が高騰したのでしょうか。
このあたりの経緯を確認しました。またこれを機に、奈良美智さんの経歴、出身大学や高校などの生い立ち、年収や奥さんなどのご家族のことについても調べました。著名な画家、彫刻家の奈良美智さんを知っていただけたらと思います。
奈良美智 落書きの価値が凄い!経歴や出身大学・年収や家族について!
奈良美智 その落書きと価値の真実は?
これが、その絵です。
出典:https://www.excite.co.jp/news/article/Techinsight_20191013_642441/より
「ナイフビハインドバック」という絵はご存知でしょうか。奈良美智さんの代表作の1つだと思いますが、右手を背中側に隠して威嚇した目つきをしている赤い服の少女です。
この落書きの左のギターを引いている少女は、そんな雰囲気が出ている感じがします。よく見ると、そこには「めちゃgood(グッド)やんけ」、「ええやん」って書かれてますよ。
これ、本当にニューヨークのバーの壁の落書きなんですね。「ナイアガラ(Niagara)」と言う名のバーだそうですが、このバーでは売りに出す気はないそうです。
なんとなくもったいない気もしますが、このバーが存続する限り、彼の作品はここにありますってことなんだそうです。
まあ、この作品見たさにお客さんも訪れるでしょうから、お店も繁盛しますからいいですね。
この絵の大きさは、縦が91.5cm、横が244cmだそうです。この他にも、トイレの入り口近くにも「少女の絵」があるのだそうです。「NYC、Yeah!!」なんて添えられてます。
ここは落ち着いた雰囲気のバーで、アートギャラリーの展示もあるそうなので、この落書きがOKだったのでしょうか。まだそのころの奈良美智さんは、それほど名も通っていなかったでしょうから、落書きができたのには何か理由があるのでしょう。
普通は、落書きを見つけたら怒られるし弁償しろってうことになると思いますからね。
書いた絵が想像以上に良くて、その壁にマッチしていたのでOKになったっていうところでしょうか。それこそ想像ですが、そんなオチでそのままになったかも知れませんね。
ちなみに、その時の奈良美智さんはお酒が入ってほろ酔い気分だったそうです。
この少年少女が楽器を演奏している絵の価値は、専門家によると5憶4000万円もあるんだそうです。どうやって値がつくのでしょうね。
この日の奈良美智さんには、話の続きがあるんです。
そのバーを出てから、近くの駅構内で落書きをしてしまったようなんです。それで、警察に逮捕されてしまったそうです。
午前3時ころだったようですが、24時間くらい拘留されて罰則や罰金もなく釈放されたそうです。
その落書き、すぐに消したそうなんです。今となっては「しまった」と思っているでしょう。そのまま残っていれば、ちょっとした名所になっていたかも知れませんからね。
奈良美智 経歴や出身 年収や家族などについて
今や世界的にも有名となっていて日本を代表する現代美術家としての立ち位置の奈良美智さん。
なず、欧米で評価されているのかわからないという人もいるようです。
欧米では、小学生くらいの少女の心のありようを捉えたりした絵画はほとんどないのだそうです。
そんな中、奈良美智さんの絵は、刃物のような目で睨み付ける表情と現代アート的なマンガの手法で、「恐さ」「危うさ」まで含んだ子どもの姿を捉えたと評価されたと言われているようです。
では、奈良美智さんはどんな方なのでしょう。気になったので調べてみました。
プロフィール
生年月日:1959年12月5日(59歳)
出身地:青森県弘前市
出身高校:青森県弘前高等学校
出身大学:武蔵野美術大学(1年で中退)
愛知県立芸術大学美術学部美術科油画専攻(卒業)
同大学大学院修士課程を修了
奈良美智さんは、上記の大学院修了後、河合塾の千種校美術研究所講師を経て、ドイツへ渡り、ドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミーに入学しています。
そして、1994年からの6年間は、ケルン近郊のアトリエを拠点として作品制作をしています。ドイツには12年間いて、帰国しています。
その間、カリフォルニア大学ロサンゼルス校にて非常勤客員教授をしています。村上隆さんと共に3か月間務めています。
帰国後は、個展や客員教授を努めたり、数々の賞を受賞しています。
年収は、調べてもわかりませんでした。そりゃあそうでしょうってところですみません。
家族については、これだけ世界中を巡って動き回っている印象の奈良美智さんですので、世界中で恋愛をしているのかなあなんて想像してしまいましたが、結婚はしていないようですね。
ドイツにいた当時のことを語っている言葉があります。
「自分にとって孤独だったということが重要だった。生まれ故郷弘前のように空は灰色で寒くて、一人ぼっち。言葉でうまく表現できない子供のような ・・」
これは、作品を作るのにとても重要だったことを伝えています。芸術家はそういった環境が必要だと言われますが、まさにそうだったわけですね。
そういった意味で、妻帯したり家族を持つことは選択しなかったのでしょう。
これからも、少女の絵を中心に描いていくことになるのでしょうか。いずれにしても、絵から伝わるメッセージを、世界中の人に発信していってほしいと思います。
今後の益々の活躍をお祈りいたします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。