杉田孝明(鮨職人)のwikiプロフや経歴!蛎殻町すぎた予約と年収や家族について!

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すし職人「杉田孝明」さんの紹介!

 

「蛎殻町すぎた」の杉田孝明さん。人気で予約が取りにくい日本橋の江戸前鮨の名店のご主人です。

 

11月3日(日)の情熱大陸でも、当代一の鮨職人として紹介されていて、その経歴や活動について調べてみることにしました。名料理人の姿を確認してみてください。

 

 

杉田孝明(鮨職人) wiki風プロフィールや経歴

 

 

プロフィール

名前:杉田孝明(すぎたたかあき)

生年:1973年

出身地:千葉県

 

中学生の時に見たテレビドラマがすし職人になろうと思ったきっかけだそうです。その時は憧れとしてみていたそうで、その思いが本格化していきました。

 

私も、中学時代からすし職人にあると決めて卒業した同級生がいるので、今ごろどうなっているんだろうなあって、頭をよぎりました。

 

学歴は関係なくその道を早くから志すということは、その頃の私には考えられないことでしたので、幼い頃から長年に渡りその道一筋でやってこられた方を見ると、どの分野でも素晴らしいって自然に思えます。

 

杉田孝明さんは、高校を卒業するときにはすし職人なることを決めていましたそしてそれは、日本橋蛎殻町の「都寿司」から修行が始まりました。その間12年。出前から仕込みまで、あらゆることをそこで学ばれました。

 

そして、30歳という若さで独立し、「日本橋橘町 都寿司」を開業します。先輩の寿司屋の場所を引き継ぐ形だったようです。

 

そして、2015年に杉田孝明さんの奥さんの実家が経営していたというレストランの場所に「日本橋蛎殻町 すぎた」をオープンし、現在に至っています。

 

 

 

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杉田孝明(鮨職人) 予約の取りづらい「蛎殻町すぎた」について

 

 

予約が取りづらいほど人気であることは、その味が確かで多くのファンがいるということです。しかしそれだけではなく、何度も訪れている方は、何度行っても新しい発見があるそうなんです。

 

それは、お寿司はもちろん、おつまみ、居心地の良さ、ホスピタリティなどだと言います。

 

味の確かさだけではなく。そういったこだわりもあって、人気店となっているんですね。

 

自慢の一品を紹介すると、光物の王様である「こはだ」へのこだわりがあるそうなんです。普通にお寿司を食べるときは、こはだって美味しいけど高級魚ではないし、そんなに特別感はないですね。

 

しかし、杉田孝明さんにかかるとこはだは寿司のネタの中でも別格だと言います。

 

「魚の個性が際立つ」

 

わかるようなわからないような。まあ、わからなんですが。(笑)

 

それだけ魅せ方食べさせ方があるということなんでしょう。締め方や切り方を変えるんだそうです。だから、握りの一番最初に出す一品なんだそうです。

 

こう話を聞くと、なんかいきなり「こはだ」が特別な魚に思えてくるから不思議です。(笑)これ読んだ方は、誰か一人くらいはよだれが出て食べたくなったと思います。

 

だって、自分がそうですから。お寿司食べた~い! すみません。

 

しかし、実はこんな杉田孝明さんですから、さすがにいろいろと苦労されているんですね。そんなに人生順風満帆だけなんていうことないですもんね。

 

お店を始めた頃は、ランチで持っているようなお店だったそうなんです。しかし、それだけでは、店を維持することが厳しくなってきたそうです。

 

お金があれば何か解決法があるのに…

 

そのころは、お金に余裕がなく、高価な魚を買うこともできなかったそうなんです。今あるもので勝負をしなくてはならなかった杉田孝明さんは、創意工夫をするしかありませんでした。

 

しかし、それが徐々に世のなかに知られるようになっていったと言います。

 

「みんなが楽しめる寿司」の追求。特別ではなく、誰もが美味しいと思うものを、知恵経験で表現する…

 

これが実ってきたということでしょう。

 

 

杉田孝明さんの根本にあるものは、

 

「この素材はもっと美味しくなるはずだ」

 

この気持ちなんだそうです。この基本的であり、真髄でもあることを、ただただ愚直に繰り返しているだけだと言います。普通、これはわかっていてもなかなか出来ないことだと思います。

 

ちなみに現在は、カウンターのプラチナシートが9席あるそうですが、国内のみならず世界の美食家たちがその席をとるために予約が入るそうです。

 

それを聞くだけで、食べに行きたくなるのはもちろんなのですが、それよりも自然にどんどん価値が高まって付加価値が付いていることがわかります。

 

電話が鳴り止まないそうです。

 

毎朝、豊洲市場に足を運んで魚を選び抜き、塩でしめて酢をくぐらせる…

 

究極のお寿司が、今日も提供されています。

 

 

杉田孝明(鮨職人) 年収や家族について

 

 

まず、年収がどれくらいなのかは、申し訳ありませんが調べてもわかりませんでした。というよりこの世界、わからないのが当然かも知れません。

 

究極的な高みまで行けば、相当であることは想像に難くありませんので、ここはご了承願います。

 

都寿司でも修業の頃、仕事の終わりに近所の洋食屋に行くのが楽しみだった杉田孝明さんは、そこの常連になっていきます。そして10年が経ち、そこのマダムから娘と付き合ってもらえないかと頼まれて、一緒になったのが今の女将さんだそうです。

 

「家族で相談」などの言葉が出てきますから、子どもさんもいらっしゃると思いますが、その情報はつかめませんでした。しかし、間違いなく、幸せに暮らしていらっしゃると思います。

 

これらのプライベート情報は、あまり詮索するのも失礼ですので、このくらいとさせていただきます。

 

 

最後に…

 

人物の紹介をしていると、著名になる方は人知れず努力をされていることは、ほぼ共通していることです。その努力は半端なものではないと痛感します。

 

杉田孝明さんもご多分に漏れず、相当な苦労をなさってこられたことは想像に難くありません。そんな苦労話はあまり出ていませんが、絶品の味がそれを証明していると思います。

 

では、杉田孝明さんの今後のさらなる発展をお祈りして、終わりといたします。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。