雌伏の地(福井)とは?どこにある?光秀を堪能し飛躍の地(信長)へ!

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雌伏の地(福井)とは?どこにある?明智光秀に浸る旅

 

「麒麟がくる」が始まって、大河ドラマのファンはザワザワしてきたのではないでしょうか。

 

明智光秀のゆかりの地は、知名度アップの大チャンスです。そして、新観光スポットとしての確立にも持ち込みたいところです。

 

その意味で、ゆかりの地もザワザワしているんです。福井県では、そんな場所が多くあるため、県全体で力を入れ始めています。

 

これから「雌伏の地」という言葉は、全国に知れ渡る予感!?もうゆかりの地に行きたくなっている方もいると思いますので、早速お伝えしていこうと思います。

 

 

雌伏の地(福井)とは?どこにある?光秀を堪能し飛躍の地(信長)へ!

 

 

福井県の雌伏の地とは?どこにある?

 

 

明智光秀は、生涯の中の一時期に福井で暮らしたそうです。若い頃のことは、殆ど残ってないという明智光秀ですから、壮年期以降の可能性が高そうです。

 

足跡はいろいろな場所に残っているようで、美濃国(岐阜県)を追われて越前(福井県北部)に逃げてきて、10年ほど暮らした可能性があるというのが、1つの説になっています。

 

ご存知のように織田信長に仕えた明智光秀は、越前朝倉氏を討伐するために若狭(福井県南部)に行き、金ヶ崎での撤退戦で大役を果たしたことが伝わっています。

 

さて、これだけ福井県には明智光秀に関するものが存在することがわかりました。

 

では、「雌伏の地」についてお伝えします。

 

「雌伏」とは、人に屈伏して従うという意味もありますが、実力を養いながら活躍の機会をじっと待つことという意味もあり、この場合後者の意味として使われています。

 

「雌伏して時の至るを待つ」とか「雌伏八年」という言葉の通りです。

 

福井の地で、再起に向けて力を蓄えたとされるために「雌伏の地」という言葉ができたのですね。

 

福井県は、「嶺南地区」と「嶺北地区」に分けられています。木ノ芽峠を境に、峠を越えることが困難であったことや、この峠を境に天候ががらりと変わることが多かったことが区分された要因のようです。

 

その嶺北を雌伏の地として設置しています。そして、嶺南を織田信長の飛躍の地として設置しています。

 

ということで、明智光秀は今年は時の人物ですが、ファンの多い織田信長の地としてもゆかりの場所があるので、一緒に訪れたいですね。

 

現在、ゆかりの地には「のぼり」が立てられています。

 

坂井市の称念寺、敦賀市の金崎宮、おおい町の石山城、今後道の駅、また、光秀が妻子と数年間暮らしたとされる「明智神社」。

 

こういった場所に合計120本が立てられているそうです。

 

 

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福井県のゆかりの地を訪れる旅

 

 

今回は、明智光秀が中心人物ですので、ここでは雌伏の地についてお伝えしていきます。

 

【明智神社】

 

明智光秀が朝倉氏に身を寄せていたときの屋敷跡とされています。娘の玉(後の細川ガラシャ)の生誕地と伝わっています。

西蓮寺

 

天台宗の古寺で、織田信長の命による一向一揆討伐の際に、東大味を救うため明智光秀が柴田勝家と勝定に安堵を依頼しています。西蓮寺には2通の安堵状が残っているそうです。

 

一乗谷朝倉氏遺跡

 

戦国時代に朝倉氏5代が103年間にわたって治めた城下町です。15代将軍足利義昭が9ヵ月滞在した御所・安養寺跡も残っているそうです。この場所で明智光秀は義昭や細川藤孝と顔を合わせた可能性もあります。

 

称念寺

 

越前に逃れた明智光秀が、称念寺門前で寺子屋を開いて暮らしを営み、やがて薗阿(えんな)上人の推挙で、朝倉氏に仕官したともいわれているそうです。松尾芭蕉が詠んだ句碑があります。

 

岡太(おかもと)神社・大瀧神社、三田村氏庭園

 

織田信長に仕官する際、明智光秀は信長の妻・濃姫への土産に大滝の髪結紙を贈ったとされてます。

 

【三田村氏庭園】

 

和紙の生産・販売の中心的役割を果たしてきた三田村氏の池泉庭園の庭構えは、同地区の隆盛ぶりを伝えているそうです。

 

三峯山

 

画像出典https://fupo.jp/article/%E6%98%8E%E6%99%BA%E5%85%89%E7%A7%80%E3%82%86%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%9C%B0%E3%82%92%E5%B7%A1%E3%82%8B/

 

【美濃街道】

美濃国にいた明智光秀は、斎藤義龍に攻められ、油坂峠を越えて越前に逃亡したと伝わっています。

 

宝慶寺

越前朝倉氏滅亡後の信長による領内安定策として、光秀・秀吉・滝川一益の3人が連署して寺領のうち百石を認めた安堵状が残っているそうです。

 

以下、金ヶ崎城址、佐柿国吉城址、熊川宿・得法(とくほう)寺、石山城、丸岡城、

西光寺、北ノ庄城址、劔(つるぎ)神社、越前大野城

 

こんなに見どころが満載です。これはもう、ファンにはたまらないですね。今年1年は特に、全国からこの雌伏の地に訪れる方が急激に増えそうです。

 

 

最後に…

 

今までも歴史大河ドラマのゆかりの地は、観光ブームになってたくさんの人が訪れています。今年は、福井県に同様の現象が起こって、潤うといいですね。

 

気になった方は、ぜひこの地を訪れて、大河ドラマを更に楽しんではどうでしょうか。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。